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広島地方裁判所 平成3年(行ウ)3号 判決 1995年6月28日

広島県呉市焼山泉ケ丘二丁目八番二〇号

原告

中島省三

右訴訟代理人弁護士

笹木和義

高盛政博

広島県呉市西中央二丁目一番二一号

被告

呉税務署長 北浦修敏

右指定代理人

富岡淳

比嘉俊雅

右指定代理人

大北貴

西尾清

木村宏

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が、平成元年二月九日付けでした

(一) 原告の昭和六〇年分所得税についての更正及び過少申告加算税賦課決定のうち、総所得金額を三一〇万七七〇〇円として計算した額を超える部分及びこれに対する過少申告加算税の賦課決定

(二) 原告の昭和六一年分所得税についての更正及び過少申告加算税賦課決定のうち、総所得金額を二七五万一〇〇〇円として計算した額を超える部分及びこれに対する過少申告加算税の賦課決定

(三) 原告の昭和六二年分所得税についての更正及び過少申告加算税賦課決定のうち、総所得金額を二七四万九〇〇〇円として計算した額を超える部分及びこれに対する過少申告加算税の賦課決定を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、広島県呉市東中央一丁目一一番一五号の事業所(以下「原告事業所」という。)において宝石・貴金属及び時計の小売業を営んでいる者であるが、被告に対し昭和六〇年分、同六一年分及び同六二年分(以下「本件各係争年分」という。)の各所得税につき、別表1の確定申告欄記載のとおり確定申告したところ、被告は同各表の更正欄記載のとおり更正処分(以下「本件各更正処分」という。)及び過少申告加算税賦課決定(以下「本件各賦課決定処分といい、本件各更正処分と合わせて以下「本件各処分」という。)をした。

2  本件各処分に対する異議申立て及び審査請求並びにこれに対する異議決定及び裁決は別表1の右各欄記載のとおりである。

3  しかし、本件各処分は、次の理由により違法である。

(一) 原告は、本件税務調査に終始協力的であったにもかかわらず、被告所属係官は、狭い原告事業所(店舗)内に一度に三年分もの帳簿書類等を一括して広げよと原告の営業に支障が生じる方法での協力を執拗に求め、原告がこれに応じなかったというだけで、調査に非協力的であるとして調査を打切り推計課税を行った。かかる被告の調査方法は、合理的裁量の範囲を明らかに逸脱した違法なものである。

(二) 本件各更正処分のうち、原告の申告総所得金額を超える部分は、原告の所得を過大に認定したものである。

4  よって、原告は、被告に対し、本件各更正処分のうち別表1の各年分の確定申告欄記載の額を超える部分及びこれらに対する過少申告加算税の各賦課決定処分の取消しを求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1、2の事実は認める。

2  同3(一)、(二)の主張は争う。

三  抗弁

1  推計の必要性

(一) 被告は、原告の本件各係争年分の申告所得金額が適正であるか否かを確認するため、被告所属係官をして原告の所得税調査(以下「本件調査」という。)を実施させることとした。

(二) 係官塚﨑正人(以下「塚﨑係官」という。)は、昭和六三年九月二六日、本件調査のため原告事業所に赴き、原告は不在であったため、応対に出た原告の妻に本件各係争年分の所得税調査のために訪ねた旨告げるとともに、原告に面接したいから原告の都合を連絡するよう依頼して同所を辞去した。

(三) その後、原告から連絡がなかったため、塚﨑係官は、同年一一月二日午前一〇時三〇分ころ、再び原告事業所に赴いたが、原告は不在であったため、原告の妻に「一一月四日午前一〇時半ころ臨場する。当日都合が悪ければそれまでに連絡して欲しい。」旨原告に伝えるよう依頼して同所を辞去した。

(四) 塚﨑係官は、同月四日午前一〇時三〇分ころ、原告事業所に赴き、原告に対し所得税の調査のために訪問したことを告げたうえ、本件各係争年分の事業に関するすべての会計帳簿及び証ひょう書類を提示して所得税調査に協力するよう要請した。

これに対し、原告は、調査する場所について「狭い店やし、客商売やから、客が来たら帳簿をたたんで店を出とってもらう。」などと申し立て、調査に応じようとしないため、塚﨑係官は原告に対し「事業所での調査ができないのであれば、帳簿を借りて調査を進めるか、それとも原告の自宅で帳簿をみせていただけないか。」と依頼したが、原告は「帳簿は大切なものやから貸すわけにはいかん。自宅でやれば商売ができん。」と言って帳簿書類を提示せず、結局午前中は調査に応じなかった。

同日午後一時ころ、塚﨑係官は原告事業所を再度訪問し、原告の事業の形態や仕入先等について質問を行うとともに、帳簿書類の提示を要請したところ、原告は本件各係争年分の損益計算書及び昭和六二年分の総勘定元帳を提示した。そこで、塚﨑係官は、総勘定元帳に記載されている経費のうち現金扱いになっているものについて原告に質問しても明確な答えが得られなかったので、原告に日計表の提示を求めたところ、原告は「この元帳は、コンピューターで処理しており、日計表を持っていって第三者に打ってもらっているものやから間違いない。不審に思う所を言えば、その分は見せる。それに、日計表や領収証をここに出して、営業妨害してもろうても困る。」などと申し立て、日計表の提示要請には応じなかった。この間、数回の来客があり、塚﨑係官はその都度調査を中断して原告事業所の外に出て客が帰るのを待つ状態であったため、午後の調査も殆ど進展せず、次回の調査日時を同月七日午前一〇時半ころ臨場する旨告げて同所を辞去した。

(五) 塚﨑係官は、同月七日午前一〇時三〇分ころ、原告事業所を訪問して、元帳並びに領収証及び請求書などの原始記録の提示を求めたところ。原告は、「ここへ何年分、何年分言うて置いた方がええんかい。そんなら元帳はもう見せんで。」「不審な所を言えば該当する分を見せる。」「全部出して『営業妨害せん』と確約出来るんなら、出したる。」などと繰り返し申し立てて、午前中は調査に応じなかった。そこで、塚﨑係官は、同日午後一時ころ、小林上席調査官とともに原告事業所を訪問し、帳簿書類等の提示を要請したが、原告は「客が来たらどうする。すぐ片づけて外に出てもらうで。」等と申し立てて調査に応じようとせず、何らの帳簿書類も提示しなかった。当日も塚﨑係官らは、来客の度に原告事業所の外に出て客が帰るのを待つという状態であり、同日午後二時一五分ころ同所を辞去した。

(六) その後、原告は呉税務署所得税第二部門の伊達統括官に対して、調査の適当な場所として原告が属する呉民主商工会の事務所である民商会館を提案してきた。しかし、右統括官らは、同所が原告の事業と関係のない場所であり、おのずから調査事項が限定されること、同所での調査は守秘義務(所得税法二四三条)が守れる保障がないこと等の理由から右提案を拒否したうえで、再度原告に対して、自宅で調査するか帳簿書類を預かって調査したい旨協力要請をしたが、原告はこれを拒否した。

(七) 塚﨑係官らは、同年一二月五日午後一時二〇分ころ原告事業所を訪問し、前回と同様に原告に対し、帳簿書類を提示して調査に協力するよう求めたが、原告は、相変わらず、「自宅ではだめだ。店舗では営業妨害になる。」などと主張し、結局のところ塚﨑係官らの所得税調査に対して協力しなかった。

(八) このように原告が本件調査に協力しないため、被告は他に原告の本件各係争年分の事業所得の金額を実額によって計算することができないので、やむを得ず所得税法一五六条の規定による推計の方法によりこれを算出したものである。

2  原告の事業所得の金額

原告の本件各係争年分の売上金額、売上原価の額、算出所得の金額、事業専従者控除額及び事業所得の金額は別表2記載のとおりであり、その算出方法は次のとおりである。

(一) 売上原価の額

被告が原告の取引先を調査するなどして把握した仕入金額の合計額であり、その内訳は、別表3記載の被告主張額のとおりである。なお、原告の本件係争年分の年初及び年末の各棚卸の金額は不明であるが、本件各係争年分における原告の事業形態に影響を与えるような特段の変化は認められないので、年初及び年末の金額を同額とみなした。

(二) 売上金額

右売上原価の額を別表4記載の原告と業種業態及び事業規模の類似する同業者(以下「類似同業者」という。)の売上原価率(売上金額に対する売上原価の額の割合)の平均で除したものである。

被告は、類似同業者の抽出基準として原告の業種業態に合致することを主たる内容とする一定の条件、すなわち、

(1) 本件各係争年分を通じて宝石・貴金属・時計小売業を営んでおり、その中途において開廃業・休業又は業態変更をしていない者

(2) 本件各係争年分を通じて所得税の確定申告について、所得税法一四三条の承認を受けて青色申告書を提出している者

(3) 主たる売上金額が宝石及び貴金属の販売であり、その他時計及び眼鏡の販売も行っている者

(4) 事業に係る売上原価の額は、本件各係争年分においていずれも次の範囲内である者(この金額は、被告が把握している原告の本件各係争年分の仕入の金額のそれぞれ約二分の一以上かつ二倍以下の金額である。)。

<1> 昭和六〇年分 七二三万二〇〇〇円以上二八九二万五〇〇〇円以下

<2> 昭和六一年分 九五八万五〇〇〇円以上三八三三万六〇〇〇円以下

<3> 昭和六二年分 九九五万四〇〇〇円以上三九八一万五〇〇〇円以下

(5) 従事員数(事業主を含む。)が、いずれも次の範囲内である者

<1> 昭和六〇年分 一ないし四名

<2> 昭和六一年分 二ないし六名

<3> 昭和六二年分 二ないし六名

(6) 更正又は決定の各処分を受けた者にあっては、国税通則法若しくは行政事件訴訟法の規定による不服申立期間が経過している者又はこれらの訴訟が係属していない者

のすべてに該当する者を類似同業者として選定した。

そして、被告は、右の条件に合致する原告の住所地を管轄する呉税務署及び近隣の広島東、広島西、広島南、廿日市、広島北、吉田、海田、西条及び竹原の各税務署管内の個人をすべて抽出し、抽出された者すべてを類似同業者として採用したものであり、右方法により選定された類似同業者は、機械的に抽出され、そこに恣意が介入する余地はなく、また資料内容は正確であるから、被告の推計方法には客観的な合理性がある。

(三) 算出所得の金額

右(二)の売上金額に別表4の類似同業者の算出所得率(売上金額に対する算出所得金額の割合)の平均を乗じて算定した。

(四) 事業専従者控除額

昭和六〇年分の金額は原告の妻中島輝美、同六一年分及び同六二年分の各金額は同輝美及び長男中島卓に係るものである。

(五) 事業所得の金額

右(三)の金額から(四)の金額を差し引いたものである。

3  本件各処分の適法性

本件各更正処分に係る原告の総所得(事業所得)の金額は、いずれも本件各係争年分に係る右2の事業所得の金額の範囲内であるから、本件各更正処分はいずれも適法である。また、本件各賦課決定処分については、原告が右各係争年分の所得税確定申告を過少に行ったことについて国税通則法六五条四項に規定されている正当な理由は認められず、同条一項及び二項に基づいて行われた本件各賦課決定処分も適法である。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1(一)の事実は不知。

2  同1(二)の事実は不知。ただし、被告主張のころ被告所属係官と思われる者が原告事業所に来て、原告の子供が対応したことはある。

3  同1(三)のうち、係官が、同日原告事業所に来たので原告の妻が対応したことは認め、その余の事実は不知。

4  同1(四)のうち、塚﨑係官が同日午前一〇時三〇分ころ所得税調査のために原告事業所へ来訪し原告に対し本件各係争年分の事業に関するすべての帳簿書類の提示を求めたことと、同日午後一時ころの来訪時に原告は本件各係争年分の損益計算書及び昭和六二年分の総勘定元帳を係官に提示したことは認め、その余の事実は否認する。原告は本件係争年分の総勘定元帳並びに領収書等の原始記録を予め自宅から事業所に持参して用意していたが、現に営業中であり店舗が狭く三年分を一度に提示することはできないので一年分宛にするように求めたところ、係官はこれを了解したのである。なお、係官が日計表の提示を求めたことはない。

5  同1(五)のうち、同日午前一〇時三〇分ころ、係官が来訪し帳簿書類の提示をもとめたことは認めるが、その余の事実は否認する。原告は「このような狭い店で一度に三年分の帳簿を提示すると、お客さんが来たときに困るので、一年分宛にして欲しい。」「調査に協力する。一年分宛帳簿を見せる。」と述べたのである。しかるに、係官は三年分の総勘定元帳とすべての証憑書類を一度に提示しなければ調査はしないと述べ、調査に着手しないまま帰った。同日午後係官二名が来た際も同様のやり取りが行われ、原告は、調査場所として原告事業所から徒歩数分の距離にある民商会館を提案したが、係官は「そこでは調査できない。」と述べて、そのまま帰ってしまった。

6  同1(六)のうち、原告が伊達統括官に会ったこと及び調査場所として民商の事務所を提案したことは認め、その余の事実は否認する。右統括官の返事はあいまいであった。

7  同1(七)のうち、同日ころ塚﨑係官らが原告事業所に来たことは認め、その余の事実は否認する。右係官らはこれまでの話を繰り返しただけであった。

8  同1(八)のうち、被告が推計により本件各係争年分の原告の事業所得の金額を算出したことは認めるが、その余の事実は否認する。

9  同2のうち、本件各係争年分の事業専従者控除額の金額は認め、その余の各金額は否認する。なお、本件各係争年分の原告の仕入先及びその金額は別表3記載の原告主張額欄のとおりであり、期首、期末の棚卸高は別表5の損益計算書に記載のとおりである。被告の推計方法に合理性があるとの主張は争う。

10  同3の主張は争う。

五  原告の反論

1  推計の必要性がないことについて

被告の推計の必要性は次の理由によって認められず、本件各更正処分は、手続上の適法要件を具備しない違法な処分として取り消されるべきである。

(一) 本件調査に対する協力について

被告は、原告が税務調査に非協力的で実額の把握ができなかったというが、原告は終始調査には協力的であった。例えば、昭和六三年一一月四日の調査に当たっては、係官の求めに応じて原告は本件各係争年分の損益計算書と昭和六二年分の総勘定元帳を提示しているし、係官も原告から右提示を受けて同日午後四時一〇分まで調査している。このように調査が円滑に行われたからこそ、原告の妻は、わざわざ係官の好みを聞いたうえ喫茶店からコーヒーの出前をとって係官を慰労したし、原告も係官と次回の調査方法についても今回と同様の方法で行うことを穏やかに協議し確認することができたのである。ところが、次回の調査になると、前回確認済みの調査方法を突如変更し、係官は三年分の総勘定元帳と領収書等の原始記録の一括提示を執拗に求めてきた。そこで原告は、三年分の帳簿書類等を一括して狭い店舗内に提示することは営業に支障が出るので、提示する分量をそれぞれ一年分宛にして欲しいと要請したにすぎない。またどうしても一括提示が必要ならば、狭い原告店舗ではなく、民商の事務所で調査するよう提案もした。それにもかかわらず、係官は原告の当然すぎる右要請や提案を拒絶し、頑に三年分の帳簿書類を一括して店舗で提示するよう要求し、原告がこれに応じなかったというだけで調査に非協力的として調査を打切り、推計課税を行ったものである。被告の右調査方法は税務職員に認められている合理的裁量の範囲を逸脱した違法なものであるから、原告がこれに応じなくても原告が本件調査に対して非協力的であったということはできない。

(二) 帳簿書類等の保存について

原告は係官に対し本件各係争年分の損益計算書と昭和六二年分の総勘定元帳を提示していることから明らかなように、本件各係争年分帳簿書類等を保存していた。また、原告は右帳簿等作成の基礎となる日計表や領収書などの原始記録を保管していたし、係官も本件調査を実施したことでこの保管の事実を知ったのであるから、原告と調査場所、調査方法を協議して、実額による総所得金額を把握すべきであり、本件にあっては推計の必要性はなかった。

2  推計の合理性がないことについて

(一) 最適の推計方法が選択されていない。

推計の方法として、売上原価を除く必要経費を一般経費と特別経費とに二分し、前者は同業者率で推計するが、後者は納税者が実際に支出すべき金額を個別に認定して控除する方式と、経費を右のように二分せず、一括して同業者率で推計する方式とがあるが、前者の方が後者に比べ、より実額に近似する事業所得を算出することができることはいうまでもない。しかるに、被告は、事業専従者控除額のみを実額で控除し、係官が損益計算書などの調査を通じて捕捉していた筈の原告の事業に関する減価償却費、支払手数料、利子割引料、地代家賃等等の特別経費については実額で控除しないで一括して推計した。

(二) 被告主張の類似同業者と原告との間に類似性があるとはいえない。

原告の事業所は、呉市内の商店街からはずれ、交通の便が悪く、道路の片側が川に面して人通りも少ない場所に位置している。そのため一見の客は少なく客層は固定している。そのため顧客を維持し拡大するには積極的に宣伝活動を行わなければならず、客の紹介者には謝礼品を贈り、得意客の接待や新たな顧客開拓のためにゴルフコンペなどを積極的に開催していた。また、顧客がクレジットを利用する場合、原告は顧客に代わってその手数料を負担し、車を使用して顧客の自宅や勤務先に出向くことも多い。さらに店舗ではガスが使用できないので、来訪した客に出すコーヒーは近くの喫茶店から取り寄せている。

また、原告は、昭和六一年五月、三一〇万円を掛けて店舗を改装した。改装費用については昭和六一年分に減価償却費用(未償却分)として九三万五〇〇〇円を計上した。なお当該改装費用は借入金で賭ったため、原告は支払利子を負担している。

右のような特殊事情からすれば、原告の経費率が他の同業者に比較して相対的に高くなるのは当然である。それにもかかわらず被告が類似性ある同業者として抽出すべき条件としたのは、売上金額、業種、従業員数など形式的条件のみであって、右のような原告の事業の特殊事情については一切考慮していない。そうだとすると、右のような形式的基準で抽出された同業者が直ちに原告と類似性があるとはいえない。

また、原告の本件各係争年分の各売上金額に占める物品税額の負担率をもって被告主張の類似同業者の各年分の物品税額を計算し、これを必要経費から控除すると、物品税以外の必要経費はB、Cの業者については極端に少なくなる。これは、B、Cが原告と営業形態の異なる業者(物品税の課税対象となる商品を殆ど取り扱っていない。)であることを示しており、類似性がない。

(三) 類似同業者の抽出過程に被告の思惑や恣意が介在した疑いがある。

本訴提起後広島国税局長が通達・回答方式により抽出した類似同業者と原処分庁が抽出した類似同業者とは、広島国税局長と原処分庁が抽出条件について協議しておらず、また調査対象地域も一致していないから、異なる筈であるのに、全く同じ業者である可能性が高い。これは、広島国税局長が原処分庁の作成した資料を自ら通達によって回答を得たと偽りそのまま使用しているものと思われる。かかる被告の類似同業者の主張は、その抽出過程に課税庁の恣意と思惑が介在しているものといわざるを得ない。

六  原告の実額の主張について

原告の本件各係争年分の売上金額、売上原価、経費及び事業所得の実額は別表5に記載のとおりである。

七  原告の実額の主張に対する被告の反論

1  課税庁の推計課税に対し、納税者が実額を主張する場合は、主張する売上がすべての売上であってこれに漏れがないこと及び売上原価その他の必要経費は売上に対応するものであることを立証すべきものである。

2  しかるに、原告は、売上について、単に総勘定元帳、振替伝票及び日計票を書証として提出するのみである。しかも日計票は、日々のすべての取引を記載しているとは到底いえないばかりか、実額で売上を把握するのに不可欠な売掛台帳、物品税台帳、請求書控え、領収書控えさえも提出していない。そうだとすると、原告は売上に漏れがないことまで立証を尽くしていないことは明らかである。また、原告は売上商品について商品の個別の特定をしていないから、売上と売上原価の対応関係を全く立証していない。

3  さらに、原告が主張する売上や経費及び原告提出の証拠書類の中には、次に述べるような疑問があり、原告主張の実額は認められない。

(一) 日計票

手元の実際の現金有高と帳簿残高の照合がなされておらず、また現金残高が赤字になっている日があるうえ、日計票に記載がなく総勘定元帳に記載があるものがあり、日計票の記載に信ぴょう性がない。

(二) 兄からの借入金

昭和六二年三月三〇日付日計票(甲第二七一五号証)の兄からの借入金八〇万円について総勘定元帳には他の売上三万円と合わせて八三万円の売上として計上している。また、借入金勘定で処理すべきところ事業主勘定で処理しているし、この借入金の返済がなされたことを窺わせる記載もない。

(三) 収入金額

右のように日計票に信用が置けず、また、売掛台帳が提出されていないので、現金売上及び掛売上がすべて計上されているかどうか疑わしい。

(四) 仕入金額

昭和六二年九月付けの出金伝票(甲第七〇九号証)について、総勘定元帳には同月二九日にいったん仕入で計上し、その後売上に訂正されているが、同月二九日付けの日計票(甲第二八五八号証)に記載した売上が正しいとすると、右出金伝票は架空に作ったものとなり、原告の提出した書証の信ぴょう性が疑われる。

(五) 棚卸高

売上原価は、年初の棚卸高にその年中の仕入金額を加え、更に年末の棚卸高を減じて算出するが、原告は棚卸の明細を提出していないから、売上原価の立証ができていない。

(六) 必要経費

原告の主張にかかる必要経費のうち、総合センターへの支払(甲第八二〇号証)、銀座東急ホテルでの宿泊時の飲食代金(甲第二六八二号証)、盆休み中に自宅に出前させたすしの代金(甲第一一二八号証)、原告の妻が友人と旅行したときの費用(甲第四一一号証)、原告の長男が在学していた大学の後援会宛の振込金(甲第五八八号証)、有限会社三川観光に支払った旅行券の代金(甲第一七二五号証)、ポーラ化粧品への支払(甲第一八六三号証)、原告の長男や甥の通う大学宛の送金(甲第一五六五号証及び第一五七〇号証)などは原告の事業に関連のない個人的費用の支出であると考えられ、経費に算入すべきではない。

(七) 証拠書類の信ぴょう性

友引の日に支出されたとする香典の出金伝票(甲第二三二号証、第一八四四号証及び第一九二〇号証)などは、一般的に葬儀は友引の日を避ける慣行に照らし真実の支払とは認め難いし、昭和六〇年五月一四日付フロールデ梨沙のレシート(甲第一〇五八号証の三)の支払を昭和六一年の支払と記載している日計票、昭和六三年七月一七日付天満屋のレシートを昭和六二年同日付けの必要経費と計上している昭和六二年分総勘定元帳などは、後日あわてて作成した疑いが十分ある。

八  被告の右反論に対する原告の再反論

1  総収入金額が一定額以上存在しないという証明は極めて困難であるから、売上伝票等の原始資料によって被告の推計した総収入金額を上回る金額の主張立証が一応なされた場合には被告から具体的に収入の漏れがあることの主張立証がない限りは他に収入の漏れはないとの推定が働く。原告の売上は日計票と振替伝票によって総売上金額が算出され、この金額は、被告が推計した売上金額を上回っているか、ほぼ近似しているから、収入は一応すべて捕捉されている。また、必要経費は、所得税法三七条一項の規定から見て、売上原価を除き収入との個別対応を立証することまでは必要でなく、主張する経費が存在し、同経費が納税者の事業と関連性を有することを立証すれば足りる。そして、原告の実額反証は被告の推計の合理性について疑問を抱かせる程度で十分である。

2  日計票が赤字となったのは二日間だけであり、しかもこれは妻が立て替えていた立替金の記載を忘れていただけのことである。また、現金取引でありながら日計票に記載がないものが元帳に記載があるのは審査請求の際に指摘され、生活費として費消した分を店主勘定として計上したためである。日計票はほぼ正確に記載されている。

3  兄から借入金の処理は入力ミスであり、原告の売上は実際より八〇万円多く計上されていることになる。

4  原告の売上原価率は被告が推計した売上原価率を下回っているから、原告主張の棚卸高は信用できる。

5  被告が疑義があると指摘する領収書の経費性がすべて否認されたとしても、未だ、原告が実額で主張する所得金額の方が被告が推計によって主張する所得を下回っていることは明らかである。

第三証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一  請求の原因1、2の事実は当事者間に争いがない。

二  推計の必要性について

昭和六三年一一月二日被告所属係官が原告事業所を訪問し、これに原告の妻が対応したこと、同月四日午前一〇時三〇分ころ塚﨑係官が所得税調査のため原告事業所を訪問し、原告に対し本件各係争年分の事業に関するすべての帳簿書類の提示を求めたこと、同日午後一時ころからの調査において原告が右係官に対し本件各係争年分の損益計算書及び昭和六二年分の総勘定元帳を提示したこと、同月七日午前一〇時三〇分ころ係官が原告事業所を訪問し帳簿書類の提示を求めたこと、原告が伊達統括官に対し調査場所として呉民主商工会の事務所である民商会館を提案したこと、同年一二月七日ころ塚﨑係官らが原告事業所を訪れたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

右事実に、成立に争いがない乙第一七号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一九号証、証人塚﨑正人の証言及び原告本人尋問の結果(ただし、後記信用しない部分を除く。)を総合すると、次の事実が認められる。

1  呉税務署の所得税第二部門に所属する塚﨑正人は、原告の本件各係争年分(昭和六〇年、同六一年、同六二年分)の所得税について、申告された事業所得の金額が正しいかどうかを確認するため原告の所得税の調査を担当することになった。

2  塚﨑係官は、本件調査のため、昭和六三年九月二六日、原告の事業所を訪問したが、原告は不在であったので、同係官は、応対に出た原告の妻に対し、税務調査のため訪問したこと、原告に連絡をして欲しい旨の依頼をして同所を辞去した。

3  塚﨑係官は、本件調査のため、同年一一月二日午前一〇時三〇分ころ、原告の事業所を訪問したが、原告は不在であったので、同係官は、応対に出た原告の妻に対し、税務調査のため同月四日午前一〇時半ころ訪問するので、当日都合が悪ければそれまでに連絡して欲しい旨の依頼をして同所を辞去した。

4  塚﨑係官は、増本係官とともに、本件調査のため、同月四日午前一〇時三〇分ころ、原告の事業所を訪問し、原告に対し、身分証明書を提示して原告の申告に係る本件各係争年分の所得税の調査のため訪ねた旨等を告げたうえ、事業に関するすべての帳簿の提示を求めたが、原告は店が狭いことを理由にこれに応じず、帳簿を右係官らに貸すことも原告の自宅で調査することも断った。

塚﨑係官は、同日午後一時過ぎ、本件調査のため、再度原告の事業所を訪問し、原告から事業概況を聞いた後、各係争年分の損益計算書の提出を受けてこれを書き写し、さらに昭和六二年分の総勘定元帳の提示を受け、総勘定元帳に記載されているもののうち現金扱いになっている経費について原告に質問したが、明確な回答が得られなかったため、原告に日計表の提示を求めたところ、原告は「この元帳はコンピューターで処理しており、日計表を持っていって第三者に打ってもらっているものやから間違いない。どうしても日計表を見たいというのなら、疑っとると一言言え。」「どうしても見る言うことやったらこっちにも考えがある。日計表や領収証をここに出して、客が来た時に直ぐ出れるか。あんたらは第三者がおってもいけんのんじゃろ。それに営業妨害してもろうても困るしのぉ。」と主張して日計表の提示要請には応じなかった。そこで塚﨑係官は、やむなくその後は専ら総勘定元帳の調査を先行させ、来客があったときは店の外に出るなどしながら同日午後四時過ぎ、昭和六二年分の総勘定元帳を見終えた。

5  塚﨑係官は、本件調査のため、同月七日午前一〇時三〇分ころ、原告の事業所を訪問し、「総勘定元帳を見ただけでは調査にならないので、日計表とか領収書とか商売に関するものを見せてください。」と言い、日計表や領収書の提示を求めたところ、原告は「ここへ何年分、何年分言うて置いた方がええんかい。そんなら元帳はもう見せんで。ここにどさっと置いて客が来た時にすぐしまえるか。客が不審に思うて帰ったらお前責任持てるか。持てるんやったら出すで。今まで通りやって不審な所を言えば出す言うとるんやっけぇ。わしは協力しよう言うとるのに。全部出して『営業妨害せん』と確約出来るんなら、出したる。」と言って、総勘定元帳も日計表や領収書等の原始資料も提出しなかった。そこで塚﨑係官は、本件調査を進展させることができないまま午前中の調査を打切り、午後に再度訪問することとして同所を辞去した。

塚﨑係官は、小林上席調査官とともに、同日午後一時ころ本件調査のために、原告の事業所を訪問し、午前中に引き続いて総勘定元帳や日計表等原始資料の提示を要請したが、原告は午前中と同様の理由で提示せず、塚﨑係官らの帳簿等を貸与してはもらえぬからとの要請に対しては「貸すわけにはいかん。」と峻拒し、また、原告の自宅で調査できるように計らって欲しいとの要請に対しては「ここ以外に場所はとれん、ここでやってくれ。それに調査するのはあんたらであって、わしから調査してくれと頼んでいる訳じゃない。家でやるとなると商売ができんじゃないか。それとも場所を提供する義務があると法律に書いとるんか。」と反問し、塚﨑係官らが「何らかの方法で協力してもらわないといけません。」と言うと、これに対しては「書いとるんじゃのぉ。何条や。」と反論し、呉民商事務局への確認の電話をするなどした。塚﨑係官らは帳簿書類の提出及び調査場所についてさらに説得したが、原告は納得せず、結局、原告は帳簿書類等を提出しなかったので調査を進展させることができず、同日午後二時一五分ころ塚﨑係官らはやむを得ず調査を打ち切り同所を辞去した。

6  原告は、同月八日、呉税務署に伊達統括官を訪ね、被告が行っている調査の方法の不当性を訴えるとともに、調査場所について民商会館を提案したが、伊達統括官は同所は不適当として右提案を拒否した。

7  塚﨑係官は、小林上席調査官とともに、本件調査のため、同年一二月五日午後一時二〇分ころ原告の事業所を訪問し、再度本件書く係争年分の帳簿書類と伝票や領収書の原始記録の提示を要請したが、原告は「客が来たら片づけて外へ出れるんか。」などと言うばかりで、結局、右提示要請には応じなかった。そこで、塚﨑係官らは、原告に対し「こちらで調査させて戴く。」と申し渡し同所を辞去した。

8  右のように原告から本件各係争年分の帳簿書類等の提示がなかったため、被告は原告の本件各係争年分の事業所得について推計することとした。

以上の事実が認められ、右認定に反する原告本人尋問の結果は前掲各証拠に照らして信用できず、ほかにこれを左右するに足りる証拠はない。

原告は三年分の帳簿書類等を狭い店舗内に一括して提示することは営業に支障が出るので掲示する分量を一年分宛にして欲しいと要請したにすぎないと主張し、原告本人尋問の結果中には、本件各係争年分の事業に関する帳票書類はみかん箱一個、大きいショッピングバッグ二袋、中くらいのショッピングバック一袋に納めており、これら大量の伝票や領収書等の書類、帳簿等を一括提示するとすれば店内の商品ケースは全面書類で覆われ営業ができなくなるので、伝票や領収書等の一括提示をしなかった旨述べる部分がある。しかし、塚﨑係官は各係争年分のすべての帳簿書類の提示を求めたが、同書類をすべて店内のショウケースの上に並べるように指示したわけではないから、原告とすれば、各係争年分の帳簿書類等をショッピングバックの袋等に入れこれをショウケースの裏側の足元に置いていたのであれば、これをそのまま塚﨑係官に渡し帳簿書類についての質問に対し説明すれば、少なくとも同係官の提示要請に応じたことになることは明らかであった。しかも原告が、調査場所として、被告が不適当として同所での調査を拒否した民商会館以外では、原告の事業所である本件店舗に固執したのであるから、原告は営業への多少の影響は受忍して係官が同店内で帳簿書類の閲覧ができるように場所を提供し、係官も原告の営業の支障にならないようにできるだけ配慮し、双方が協力して右調査が可能になるように努めるべきであったのに、原告は一方的に一括提示は営業妨害になると言い続けて帳簿書類等を係官に提示しようとせず、係官の本件調査に協力しなかったものといわざるをえない。

なる程塚﨑係官は原告から本件各係争年分の損益計算書及び昭和六二年分の総勘定元帳の提示を受けたが、同係官は申告された事業所得の金額が正しいかどうかを確認するためには本件各係争年分の帳簿書類全部の閲覧調査が必要であると考えて一括提示を求めたものであり、この調査の方法は権限ある税務職員に委ねられている合理的な選択に反するものということはできない。

してみれば、被告は、原告が被告係官に対し本件各係争年分の申告の基になった領収書等を含む帳簿書類全部を提示しなかったため、原告の事業所得金額を実額によって把握することができなかったものであり、推計の必要性があったと認められ、被告が推計によって原告の本件各係争年分の事業所得金額を算出したうえ本件各更正処分を行ったこと自体には何ら違法はないというべきである。なお、原告が右帳簿書類を全部保管していたとしても、それを被告係官に提示しなかった以上右結論を何ら左右しない。

三  そこで、原告の本件各係争年分の事業所得について判断する。

1  売上原価の額

(一)  原告の本件各係争年分の仕入先が別表3記載のとおりであること及びその仕入金額は少なくとも原被告双方が認める金額はあったことは当事者間に争いがない。

(二)  そこで、原被告双方の主張額で相違している部分について検討する。

(1) アルバ時計販売(株)

成立に争いがない乙第一二、第一四号証の各二及び原告本人尋問の結果によれば、各年分の差額四〇〇円はいずれも右会社が原告に商品を送付した際の運賃であることが認められるから、原告の仕入金額に入れるべきである。

(2) 石山商店、(株)京伸、(有)ケースのふじおか

原告本人尋問の結果によれば、右各会社に係る被告主張の金額は指輪・ネックレス等のケース類の代金であることが認められるところ、同ケースは右宝石類と一体をなすものと認めるのが相当であるから、これらは仕入金額に入れるべきである。

(3) 酒田時計貿易(株)、(株)大都商会

(株)大都商会の昭和六二年分の差額一九七〇円については、成立に争いがない乙第一四号証の五及び原告本人尋問の結果によれば、仕入の値引であることが認められるので、右会社の昭和六二年分の仕入金額は原告主張額とすべきである。その他の差額については、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第三四五三ないし第三四五六号証及び右本人尋問の結果によれば、いずれも修理代であることが認められる。修理代は売上と個別的、直接的対応関係が認められるから売上原価を構成する仕入金額に入れるのが相当である。

(4) (株)中国時計

原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第三四五七号証の一、二及び右本人尋問の結果によれば、昭和六〇年分の差額二万二九三六円は同年分の仕入であることが認められる。

(5) 中国セイコー時計販売(株)

昭和六〇年分の差額一六五〇円については、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第三四五八号証及び右本人尋問の結果によれば、右会社の修理代であることが認められるので、右(3)と同様に仕入金額に入れるのが相当である。

昭和六二年分の差額三六万五六二〇円については、成立に争いのない乙第一四号証の六及び原告本人尋問の結果によれば、昭和六三年一月五日に伝票処理され、同日以降に販売されるものであったことが、認められるので、昭和六二年分の売上に対応する同年分の仕入に入れるのは相当でない。

(6) リズム時計工業(株)

原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第七一一、第三四六一号証及び右本人尋問の結果によれば、差額三万五七五〇円は原告が昭和六二年九月仕入れた商品の代金であることが認められる。

(7) 日新商会(株)

原告本人尋問の結果によれば、昭和六〇年分の差額七〇〇円は商品の送料であると認められるので、仕入金額に入るべきである。

(8) (株)白光

原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第三四五九、第三四六〇号証及び右本人尋問の結果によれば、昭和六〇年分の差額六〇〇〇円は商品の仕入ではないこと、昭和六二年分の差額一万八〇〇〇円は昭和六二年一二月二八日の加工料であることが認められる。したがって、右一万八〇〇〇円については昭和六二年分の仕入に入る。

(9) プリンセス宝石

成立に争いがない乙第一二号証の七及び原告本人尋問の結果によれば、昭和六〇年分の差額七七二〇円は粗品の代金であることが認められる。粗品は商品ではないので仕入金額に入れるのは相当ではない。

(10) 矢野商会

昭和六二年分の差額一四〇〇円が仕入代金であることを認めるに足りる証拠はない。

(三)  以上によれば、原告の仕入金額は、昭和六〇年分が一四四八万七〇九八円、昭和六一年分が一九一八万四一七八円、昭和六二年分が一九九四万三三六六円となる。

(四)  甲第二ないし第四号証の総勘定元帳記載の商品の期首棚卸高が正確であることを裏付ける資料がないので、右棚卸高を直ちに採用することができず、他に期首棚卸高を明らかにする資料がないので、右仕入金額をもって売上原価の額とせざるを得ない。

2  売上金額及び算出所得の金額(売上金額から売上原価及び経費を控除した金額)

(一)  被告は右各金額を実額によって計算することができなかったため、原告の売上原価の額を基礎にして被告主張の類似同業者の平均値によって推計しているので、被告のした推計の合理性について検討する。

(1) 成立に争いがない乙第一八号証、証人西村章の証言により真正に成立したものと認められる乙第一号証、第二ないし第一一号証の各一ないし三及び証人西村章の証言によれば、被告元指定代理人西村章らは、原告の事業所得を推計するため、原告と業種、業態及び事業規模が類似する同業者を求めることとし、被告主張の類似同業者抽出の条件(1)ないし(6)を定め、広島国税局長の通達により原告の事業所住所地を管轄する被告及び近隣の竹原、広島南、広島西、廿日市、広島東、海田、広島北、吉田、西条の各税務署長に対し、本件各係争年分を通じて右条件すべてを満たす個人を報告するように求めたところ、被告は別表4記載のA、竹原税務署長は同表記載のB、広島南税務署長は同表記載のC、広島西税務署長は同表記載のD、廿日市税務署長は同表記載のEがそれぞれ該当する旨報告し、その他の税務署長は該当者がない旨の報告をしたこと、右報告書によれば右A、B、C、D、Eの売上原価の額、算出所得の金額、売上原価率、算出所得率は別表4のとおりであったことが認められる。右確定事実によれば、右五名が選定された過程に被告あるいは広島国税局長の思惑や恣意は介在していないということができ、また、右五名の算出所得金額等の数値は青色申告書に基づくものであり正確であるということができる。

そして、原告本人尋問の結果によれば、昭和六〇年ないし六二年当時原告は主として宝石・貴金属を販売し、その他の時計の販売も行い、従業員数は原告を含め昭和六〇年は二名、昭和六一年及び六二年は三名であったことが認められ、売上原価の額も右五名の者に近似しているから、右五名の者は原告と業種、業態及び事業規模において類似している同業者であるということができる。

したがって、右五名の平均売上原価率及び平均算出所得率によって原告の売上金額及び算出所得を推計することには、特段の事情がない限り、合理性があるものというべきである。

(2) 原告は、右推計の合理性を妨げる特段の事情として、事実摘示欄五2(一)ないし(三)の各事情を主張するので、以下これらの点について検討する。

<1> 原告主張の特別経費を実額で把握することができるときは、その特別経費を推計しないで実額で計算する方が算出所得がより実額に近いものとなるが、原告の損益計算書に記載された右特別経費が正確であることを裏付ける資料が被告に提示されていなかったから、被告が右特別経費を含む経費全体について推計してもその合理性を欠くことはない。

<2> 成立に争いがない甲第三四六二号証、原告の店舗付近の写真であることに争いがない甲第三四六五、第三四六六号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第三四六七ないし第三四六九号証、第三四七二、第三四七三号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告の事業所は呉市本通五丁目の繁華街から七〇〇ないし八〇〇メートル位離れた所に位置し、面する道路は歩道付の二車線となっておりその片側が小さな川になっていること、原告は昭和六一年五月三一〇万円の費用をかけて店舗改装工事をし、従前の設備の帳簿価格九三万五〇〇〇円を同年度で全部償却したことが認められるが、右原告の立地条件は特別悪いという程のことはなく宝石・貴金属及び時計の小売業を営む者にとって特殊事情とは到底いえず、また、右償却費は前記類似同業者五名の昭和六一年分の平均売上高の約二・六パーセントの額にすぎず、これは右五名の算出所得率の差異の範囲内であって、推計に当たって右事情を考慮しなくても推計の合理性を失わせるものではない。そして、原告主張の販売のための営業努力も原告の特殊事情といえないことも明らかである。

<3> 本件各係争年分の原告主張の原告の売上高が真実であるかどうかについては後記説示のとおり疑わしいのであって、これが正確であることを前提とした物品税額の負担率に関する原告の主張は採用できない。また、仮に右売上高が正確であるとした場合であっても、原告は前記類似同業者B、Cと物品税の課税商品の取扱数量が相違していたことが窺えるだけであって、業態が相違しているとはいえない。そして、右課税商品は非課税商品に比較し利益率が極端に低いことを認めるに足りる証拠はなく、右取扱数量の差異は前記類似同業者五名の平均値による推計を不合理ならしめる事情とはいえない。

<4> 類似同業者の抽出に当たり広島国税局長が定めた条件は、通常、推計するために採用される内容のものであって、原処分庁の抽出条件と同一のものとなりその結果として同じ五名の者が選定されたとしても特に不自然であるということはできず、この点についての原告の主張は理由がない。

(二)  売上金額

原告の前記1記載の各年分の売上原価の額を別表4記載のAないしEの類似同業者五名の各年分の売上原価率の平均でそれぞれ除して原告の売上金額を算出すると、昭和六〇年分は二四二六万六四九五円、同六一年分は三二七三万七五〇五円、同六二年分は三四〇九万一二二三円となる。

(三)  算出所得の金額

原告の右各年分の売上金額に別表4記載の類似同業者五名の各年分の算出所得率の平均値をそれぞれ乗じて原告の算出所得を算出すると、昭和六〇年分は五九四万五二九一円、同六一年分は八六〇万〇九九六円、同六二年分は八八六万三七一七円となる。

(四)  原告の実額の主張について

推計課税は実額で所得を把握できないときに合理的な推計方法によって所得を認定することが認められているのであるから、その推計の必要性及び合理性が証明されれば右推計課税は一応適法となる。したがって、右推計を実額によって覆すためには原告に実額による所得金額が右推計による所得金額より少ないことを立証しなければならない。特に本件においては、原告主張の実額による原告の経費の売上に対する割合(経費率)は別表6のとおりであり、他方前記類似同業者AないしEの五名のそれは、前掲乙第二ないし第六号証の各一ないし三によれば右別表6のとおりとなることが認められ、これらの数値を比較すれば、原告の経費率は昭和六一年だけでなく各年分とも右五名の平均値の倍位、最も高いDよりも更に一割以上高くなっている。右五名の平均値によれば、原告主張の経費の実額が真実であるとすれば、原告の売上金額はその主張の実額の倍位となり、逆に原告主張の売上金額の実額が真実であるとすれば、原告の経費はその主張の実額の半分位になるのである。このように原告の経費率が類似同業者五名のいずれよりも極端に多くなっているような場合においては、なおさら原告主張の実額は十分な裏付け資料によって証明される必要があるといわなければならない。

(1) 売上金額について

原告は証拠として、総勘定元帳、日計票、振替伝票を提供するのみであり、個々の売上が記載された売上帳、売掛台帳、物品税台帳、売上に関する請求書控え、領収書控えを提出していない。そのため右総勘定元帳等の記載が正確であるかどうかを確認することができず、他にこれが正確であることを認めるに足りる証拠はない。

また、原告の商品在庫は五〇〇〇万円以上もあったというのであるから、その在庫が期首と期末で変動していれば売上原価は当然その変動金額に影響を受けるが、原告は期首及び期末の棚卸高の明細書を提出していないので、原告主張の期首及び期末の棚卸高が正確であることを認めることができない。したがって、仮に被告が調査により把握した仕入金額に漏れがなく原告主張の仕入金額が正確であるとしても、売上原価が正確であるとはいえないので、その売上原価を基に原告主張の売上金額が前記類似同業者の平均売上原価率で計算した売上金額より多額であることを理由に正確であると考えることはできない。

さらに、原告本人尋問の結果によれば、日計票は作成当時現金残高が記載されていなかったことが認められるので、右日計票の記載と現金有高との照合をして記入漏れや記入過誤を点検することが十分になされていたとはえず、また日計票と総勘定元帳との記載の不一致が少なからずあり(例えば、総勘定元帳の昭和六一年二月二四日の売掛金二五万円の現金入金が同日付日計票(甲第二三九九号証)に記載されていない。総勘定元帳の同年六月一四日の現金五〇〇〇円の出金が同日付日計票(甲第二四八二号証)に記載されていない。総勘定元帳の昭和六二年八月三一日の賃借料二万八〇〇〇円の支出が同日付日計票(甲第二八三八号証)に記帳されていない。昭和六〇年一二月三一日分日計票(甲第二三六一号証)及び昭和六二年一二月三一日分日計票(甲第二九三五号証)の各摘要金額欄記載の「事業主五万五二四〇円」「事業主二一万六七二〇円」はいずれも総勘定元帳に記帳されていない。また昭和六一年四月一日分日計票(甲第二四二九号証)及び昭和六二年五月一日分日計票(甲第二七四二号証)は全項目総勘定元帳に記帳されていない。昭和六一年一一月二六日分日計票(甲第二六一六号証)の摘要金額欄には「兄より借入五〇万円」との記載があるが、同日計票に対応すべき総勘定元帳の同日付短期借入金の項目には記帳されていない。)、昭和六二年三月二〇日付日計票(甲第二七〇八号証)によれば七二六七円、同月二三日付日計票(甲第二七〇九号証)によれば九八七円の現金残高が赤字になっているなどし、原告提出の日計票の信用性は低いといわざるをえない。

以上により原告主張の売上金額は漏れのない正確なものであると認めることは到底できない。

(2) 売上原価

右(1)のとおり正確であることの立証がない。

(3) 経費

<1> 公租公課

原告は物品税台帳を提出していないので、課税商品の売上がすべて原告主張の売上に計上されているかを確認できない。したがって、原告主張の売上と物品税支払との対応関係の立証ができているとはいえない。

<2> 接待交際費

原告は各年分ともゴルフ関係の領収書及び軽食喫茶店、酒店、米穀店、精肉店、臼井商店、スタンド、くだもの店、呉服店、すし勝等宛の多数の領収書を提出し、原告は、本人尋問において、右はいずれも事業に関連した支出である旨の供述をするが、直ちに信用できない。支払先、頻度等からみて個人的費用の支払も相当含まれていると疑われる。特に日本交通公社発行の中島輝美宛の一万六〇〇〇円の領収書(甲第四一一号証)、有限会社三川観光発行の上様宛の旅行券一五万〇八五〇円の領収書(甲第一七二五号証)、ポーラ化粧品店担当セールスマン発行の中島輝美宛の三万の領収書(甲第一八六三号証)は、その内容等からみて個人的費用と考えられる。

<3> 雑費

保喜・堀越さんを守る会発行の領収書、カンパ等原告の事業との関連性が疑われるものが相当数ある。右関連性は原告において立証する必要がある。

<4> 支払手数料

原告主張の売上との個別的対応関係が不明であり、その立証がなされていない。

以上によれば、原告主張のその他の経費について判断するまでもなく、原告の事業所得を実額によって認定することは到底できないから、原告の実額の主張は理由がない。

3  事業専従者控除額

事業専従者控除額は、昭和六〇年分は四五万円、同六一年分は九〇万円、同六二年分は一〇五万円であることは当事者間に争いがない。

4  以上によれば、本件各係争年分の事業所得の金額(総所得金額)は、前記算出所得金額から右事業専従者控除額を控除して算出されるから、昭和六〇年分は五四九万五二九一円、同六一年分は七七〇万〇九九六円、同六二年分七八一万三七一七円となる。

四  そうすると、原告の本件各係争年分の総所得金額は、いずれも本件各更正処分における認定額を上回るから、本件各更正処分はいずれも適法であり、右認定の所得額があることを前提になされた本件各賦課決定処分もまた適法である。

よって、原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行訴法七条、民訴法八九条を摘要して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉岡浩 裁判官 岩坪朗彦 裁判官山野幸雄は転補のため署名捺印できない。裁判長裁判官 吉岡浩)

別表1

課税の経緯

別表2

原告の事業所得の金額の算出経過

別表3

原告の仕入金額明細表

(上段-原告主張額、下段-被告主張額)

別表4

類似同業者の売上原価率及び算出所得率表

別表5

損益計算書

別表6

原告(ただし、原告主張の実額による。)及び類似同業者の売上に対する経費の割合

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